自由は、怖い。

こんにちは。トゥモローこと、橋口友比古です。
トゥモローのイメージは?
と聞くと、
「自然体」「自由」っていう答えが、
返ってくることが多いです。
みなさんは、自由についてどうお考えですか?
みなさん、
「自由になりたい」と思ってると思うんですよね。
でも同時に、人間て面白いもので、
「自由になりたくない」とも思ってるんですよ。
その辺について、お話していきたいと思います。
自由って、どういう種類のものなのか。
自由の定義は、人によると思いますけど、
時間とお金に困ることがないとか、
好きなことだけでやれるとか、
どういう人と付き合うかを自分で選べるとか、
働く時間を自分でコントロールできるとか、
いろんな定義付けがあると思うんですね。
自由の定義は何でもいいんですけど、
大事なのは、自由になっていく時には、
同時に、
「恐れと責任」が付いてくるということです。
「決断」て、「決めて、断つ」と書きますけど、
「自由になる」というのは、まさに決断なんですね。
精神論の話をしているのではなくて、
何を言っているのかと言うと。
作家の本田健さんが、娘さんを、
ボストンのサドベリースクールに入れてあげたいな、
と思った時の話。
サドベリースクールというのは、
カリキュラムが無いスクールなんですね。
特に、ボストンの本校はそういうところらしくて、
要は、子供たちがこれをやりたいと、
興味を持ったものをやらせる学校。
学校がカリキュラムを全く用意してない学校だそうです。
先生はサポートする役目、という立ち位置だそうです。
健さんは、ビザもとって、家具も船便で送って、
一足先に現地について、家を整えて、
面接に行ったんだそう。
健さんは、普段から、自由に、
好きなことで生きていくという生き方でいいんじゃないか、
と言われています。
つまり、背後には、
「人が好きなことを追求していけば、
幸せになれる」
という信念が、あるわけですよ。
そういう信念があるから、
愛娘を通わせるなら、
サドベリースクールがいいなと思って、面接に行った、と。
そこで、健さんが、熱い思いを語ったんだそうです。
学校のこういうところに共感をしていて、
そういうところに、娘を入れたいなと思いました、
というふうに。
そうしたら、面接官に言われたのが、
「ありがとうございます。
では、私どもの学校の方針に賛同していただけたということですね。
ということは、娘さんが好きなことだけをやって、その結果、
「読み書き」「そろばん」もできない子供になってしまう可能性も、
お分かりと言うことでよろしいですよね?
そういう風になっていく可能性があることも分かってらっしゃる、
ということですよね。」
それを言われた時に、
健さんもさすがに、
一瞬「うっ」と言葉につまったけど、
「もう引っ越しをするために家具はアメリカに向かって、
飛行機便で向かってきていたので、
『はい』と言った」、
という話でした。笑
これ、面白くないですか?
結局、娘さんは、
「読み書き」「そろばん」は、
できる子にはなったみたいなんですけど、笑
それは本人が、
そういう学校にいても、
「興味を持ったから」やったわけですよね。
ただ、できない子になる可能性もあった、
っていうことなわけです。
これは非常にその通りだな、と。
「自由」って、そういう種類のものなんですよ。
誰かが、
「好きなことだけで生きていくのっていいよね」
と言ったら、みんな「いいよね」と言うと思います。
でも、それをやっていくのに、
例えば、ボクみたいな立場に立つ場合には、
社会的な保証って何もないわけじゃないですか。
どこかの会社に勤めていることで得られる、
社会的信用って、
日本ではまだまだ価値をもっていますから。
でも、それを捨てて、
社会的な保証を失うのを、
「怖い」と思う人の方が、
普通は多いわけですよね。
だから、ボクを見ていて、
ああいう生き方したいな、とも思うけれども、
同時に、今あるものを手放すのは、
怖いとも思うわけです。
何かを決断することは、
必ず、何かを捨てることになる、
という話につながりますが、
「自由になる」ということは、
誰かに守ってもらえるという種類の保証は、
なくなるわけですよね。
考えてみれば、本当に恐ろしいことです。
じゃあなんでボクが、
そんな怖いところに飛び出していけたのか、というと。
自分が好きなことを思いっきりやって、
それをみんなの役に足つ形で、
シェアをしていけば、
たくさんの人に応援してもらえるだろうと思っているからです。
みなさんにメルマガやブログを読んでいただいたり、
オンラインサロンに入ってくれる人もいたりして、
ボクがやりたいことを支えてくれる人がいる。
そして、それが、
みなさんためになるということが、
信念としてあるってことなんです。
それを信じられないと、
「保証がないのは怖い」となっちゃうので。
自由になるには、
「自由っていいな」と言うだけじゃなくて、
自分自身の中の「恐れと責任」と、
向き合う必要があるということですね。( ´ ▽ ` )ノ
それでは。