議論したからってケンカしてるわけじゃない。

こんにちは。トゥモローこと、橋口友比古です。
先日、久しぶりに、
喧々諤々の議論をしました。
相手はボクのメンティー。
ボクのやっている会員制コミュニティ
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Provided by 世界ノマド
普通じゃない人生を生きるための
「21世紀型メンタープログラム」
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こちらのLINEグループでは、
世間で騒がれているニュースや情事についての
僕の率直な意見を、
リアルタイムで音声で配信しています。
それについて、メンバーから、
感想や別の意見が出てきて
ボクと議論が始まることもあります。
慣れない人からすると、
一見、ケンカしてるように見えるかもしれません(笑)
日本人って、議論・ディベートに慣れていませんから、
「意見が違う」=「ケンカ」と思ってしまうんです。
でも、議論からしか見えないこともあります。
70人もいるLINEグループの中での議論ですから、
他の人も見ているわけですけど、
ボクの視点が新鮮だと感じたり、
逆にメンバーの視点に、なるほど、と思う人もいて、
それが勉強になっているんですよね。
ボクは、ボクの意見に反対と言ってくれる人を、
すごく貴重な存在だと思っているので、
ちゃんと話したいのです。
というのも、「議論」は、
『分かり合うため』に、するものだからです。
決して相手を屈服させるためではないし、
勝つためにやっているわけでもない。
1、自分の意見を言う段階で、
ぼんやりした意見に輪郭が出来上がる。
2、相手の意見をちゃんと聞くことで、
自分との「違い」がはっきりする。
3、そのことで、新たな視点が手に入ったり、
相手を尊重できるようになる。
これが、議論が僕らにもたらしてくれるものです。
だからボクの話は、
メンプロ内では、たまに小難しくなるし、
細かい言葉の定義まで、
尋ねたりすることもあります。
よく言えば論理的、
悪く言えば理屈っぽい。
普通は理屈っぽい人は嫌われますし、
普段から細かいことを言うわけではありませんが、
議論の場では、別です。
【論理性】がなければ、わかり合うことはできません。
【論理】とは何か?というと、
ボクは理解し合うための、
「共通ルール」です。
その【論理】の上に乗っかって話をしていれば、
他人という全く違う存在と、
意思疎通を図ることが出来るものなわけです。
例えば、
・さとしくんは背が高い。
・背が高い人はモテる。
→『だから』、さとしくんはモテるに違いない。
の意味はわかるけど、
・さとしくんは背が高い。
・背が高い人はモテる。
→『でも』、さとしくんはモテる。
の意味はわからないし、
なにが言いたいのか、
わからなくなってしまいますよね?
これは、論理というのが、
メッセージを運ぶための、
「共通のルール」だから。
サッカーだって、
「ゴールに手を使わずにボールを入れたら、1点にする」
っていうルールがあるから、
ゲームとして成り立つ。
それと同じで、議論も、
「論理性」という『ルール』があるから、
成り立つわけです。
たしかに、素人のときは、
やれハンドだ、やれオフサイドだと、
細かいことを言い過ぎるより、
わいわい楽しむことで、
サッカーを好きになりますよね。
でも、始めてからある程度経ったら、
ルールをちゃんと覚えて、
守ることって、大事です。
だって、サッカーとして、
ルールがしっかりあるから、
よりレベルの高いプレーができるわけですから。
それと一緒で、
議論に慣れていない頃に、
「論理的に話せ」とばかり言われると、
辟易しちゃいますよね。
でも、
より高次のコミュニケーション、
ひいては、より高次の成長のためには、
やっぱり大事なんですよ。
『論理性』が。
じゃあどうしたら論理性が身につくのか。
はい、じゃあ論理的にしゃべって!
と言われても最初は難しいので、
他人の議論を、見たり聞いたりするのがいいんです。
そうすると、自分が賛成していた意見にも
「あ、自分はここまでは考えていなかったな」と
勉強にもなりますし、
反対意見の人の話にも
「あ、なるほど。そういうところでの
折り合いというのも大事なんだな」
と分かったりします。
でもそれは、その会話が【論理的】だから、
可能なことなのですね。
例えばパートナーシップや
友達との関係性の中であれば、
「私はこう思う」「あなたはこう思うのね」で
終わってもいいと思います。
ですが、他人から「学ぼう」と思ったのであれば、
そこに共通のルールである論理性がないと、
そもそも分かり合えないんですよ。
ボクは「1+1=2」だと思って話してるけど
相手は「1+1=100」だと思って話してたら、
話がよく分からなくなっちゃいますよね、お互い。
ただ、この【論理的に考える】というのは、
慣れていない時には、結構難しいんです。
それは人間が「自分の感情」を
混ぜて考えてしまうから、なんです。
みんな、訓練をしてきていないのですね。
だから、反対意見を聞いただけで
「ケンカなのかな?」と思ってしまったり、
質問して詰めていく時に、
「いじめてる」という風に捉えたり。
そういうのは、
【論理的】ではないし、
【議論】でもないですよね。
だって最初に戻りますけど、
そもそも、議論は、
相手を理解するためにするもの、だからです。
理解をしたいからするのが、
『質問』ですよね。
なのに、質問をしているだけで、
相手が「責められている気分」に
なってしまう。
そうすると、お互いにわかり合うことはできません。
だから、論理的に考えるって、大事です。
面倒くさいなと思う人も、
いらっしゃるかもしれませんが、
基本中の基本の
「ちゃんと読む」
「ちゃんと聞く」
「わからないときに質問する」
というのは、
人と分かり合うために、
とても大事ですよ( ´ ▽ ` )ノ
それでは。