ノージャッジメントになるには?

ノージャッジメントになるには?

こんにちは。トゥモローこと、橋口友比古です。

突然ですが、ボクは、
「人たらし」とよく言われます。笑

「トゥモさんといると安心する」とか、
「ジャッジしてない感じがするし、何を話しても大丈夫」とか、

男女問わず、よく言われます。

この『ノージャッジメント』のおかで、
けっこう、人から信頼していただくこと、
好意を持ってもらえることも多くて、

『ノージャッジメント』は、
みんなが身につけられるといいんじゃないかなー、
と思っています。
トゥモさん今日は、どうやったら、
「ノージャッジメント」になれるのか?

『トゥモローが人をジャッジしないで済んでいるのは、なぜなのか?』
ちょっと考えてみました。

例えば、目の前の人から、「あたし、今、浮気してるんです」
という話を聞いたとします。

その時に、ボクは「ありえない!」とか、
反射的な反応はしないんですよ。

別に浮気がいいことだとは思っていないし、
「お〜、もっとやれ〜!」と
思っているわけではないですよ。念のため。笑

でも、だからと言って、
その人に
「浮気なんてありえない!」
なんて、責めたりしない。

浮気をするに至った、
「その人なりの地獄を抱えているんだろうな」とか、
「その人なりの状況判断の中で、そういう行動になっているんだろうな」
というふうに考えます。

実際、
浮気が数十年、バレずに続いていて、

「そのおかげで夫婦円満でやれたんです」

「数回あった離婚危機も、浮気相手との関係が良好だったおかげで、
冷静になれて、なんとか乗り越えられました」

と言うカップルは実在しています。

もちろん、だからと言って、
浮気がいいことだとはならないけど、

その人のその状況を、「悪だ」と誰が言えるのか?
浮気をしないことで、ストレスが溜まって、
結局離婚することになったとき、
間にいる子供の気持ちも考えると、
何が善で何が悪なのかを、
他人が簡単にジャッジすることなんてできない。

っていうふうに考えてます。

だから目の前の人が、
「浮気してます」って言った時に、
『そのカップルが、そのパターンかも知れないし』
と思うと、ジャッジする意味なんてないなーと思うんですよね。
イラスト違う例を挙げますね。

例えば、目の前で、
知らないおっちゃんが
「きいいえええええーーー!!!」
と奇声をあげながら、
ナイフを振り回して、
こっちに向かって走ってきているとします。

それは、見た瞬間に「やべっ」って思いますね。
瞬間的に思うわけです。

で、
「どうしよう?逃げ出すべきかな?」って考えるわけです。

だって、そのままそこに突っ立ってたら危ないから。
イラストでも、一方で、そのおっさんの
「違う部分」を想像することもできますよね。

そのおっさんが満面の笑顔で、
自分の赤ちゃんを「高い高い」している、
笑顔のその人を思い浮かべることもできます。

もし彼にそういう人間的な部分があるなら、
もしかしたら危なくないのかもしれない。

何かの事情があってナイフを持って、
奇声をあげてるだけで、
別に誰かを傷つけようと思っているわけではないかもしれない。

つまり、ノージャッジメントでいられるとは、
『仮説』を立てる「想像力がある」っていうことなんです。

上の2つの例で、ボクは、
仮説を立てていますよね。

「浮気をしている人が、浮気のおかげで夫婦円満かもしれない」という仮説。

「奇声をあげているおっさんが、実は人間的である」という仮説。

この仮説があるから、

『反射的にジャッジをする』っていうところから、
離れられるわけです。

まあ、ナイフの例の場合は、
「なにはともあれ、とりあえず逃げとく」方が、
正解だとは思いますけど。笑

イラストそういう風に、
『仮説を立てる時』に、
頭の中ではどんなことが行われているんでしょうか?

学術的に言うと、
『認知的デカップリング(cognitive decoupling)』
という作業だそうです。

デ・カップリング(de + coupling)なので、
『カップリング外す』という意味です。

上記のおっさんの場合、

「おっさん」+「凶器を持って奇声をあげながらこちらに走っている」

という2つの要素が、
カップルになっているわけです。

仮説を立てる(=想像力を働かせる)とは、
それ(=上記のふたつのカップル)を一旦置いておいて、
「おっさん」と、
それとは別のパーソナリティとか価値判断、
例えば、『赤ちゃんをあやしているその人』や、
『罰ゲームでやらされている状況』を、
カップリングする。

これが仮説を立てる時に、
頭の中で行われる作業だそうです。
実は、これをやるには、
とても大きなエネルギー(=理性的な判断)が必要です。

というのも、この世の現象として、
『カップリングする=ペアになる』と、
「安定」するという法則があるんだそうです。

それは、『分子レベル』からそうですし、
(分子が2つ結びついて、カップリングすると、安定する)

男女のカップルだって、別れる時のほうが、
付き合う時以上に、エネルギーが必要だったりしますよね。

同じように、頭の中の、
「概念のカップリング」もそうなんだそうです。

『認知的デカップリング』を起こすには、
「大きなエネルギー」(=理性的に判断する)
をかけないといけない。

そりゃそうです。
「浮気は悪いことだ!」って怒ったり、
「税金の無駄遣いなんて、ありえない!」って断じる方が、
明らかに『楽』(=反射的な判断・エネルギー使わない)
ですもんね。

他人(=メディア)にあおられて、
「価値判断」を他人に委ねて、
反射的に反応するほうが楽です。
頭を使わなくていいので。

「簡単にジャッジしない」って、本当に難しいんですよ。
自分の頭を使わないといけないので。
エネルギーがいる。

脳みそは、なるべく楽をしたい(=省エネ)したいわけだから、
ちゃんと理性を使って、
「仮説を立てる(=想像力を働かせる)」
ってことをしないと、
いつの間にか『簡単な道』を取ることになっちゃう。

そういう生き方もいいのかもしれないけど、
その楽な生き方を選んでいると間違いなく、
「普通じゃない生き方」はできないんですよね。

他人の価値判断で生きてるわけだから、
なにをしても、気になるのは、
「他人からどう見えているのか?」です。
そりゃ、平凡な生き方になりますよ。
ぞうさんボクは、
「人間て複雑な生き物」だから、
「なるべく複雑なまま理解する」のが、
大事だと思ってます。

浮気が悪いことだ!っていうなら、
本当は地球上から滅亡してなきゃおかしいのに、
まだ存在している。

聖書が書かれた時から、
「他人のものを欲しがるな」って書かれている。

もう長いこと、人間の歴史上、
「悪いことだ」ってみんなが思っているのに、
実際に、起こっている。

そういう人間の綺麗事じゃない、
「生」の部分って、
簡単な善悪論じゃ語れないし、
語ったところで意味はないと思うんですよね。

そんなことより、「生」の部分もぜーんぶ、
安心してテーブルの上に乗せて、
一緒に「あーだこーだ」言ってあげられる方が、
その人の人生には、
実際的に役に立つと思うし、
そういう人でありたいと思うのです。

『ノージャッジメント』、
ぜひ、やってみてくださいね。( ´ ▽ ` )ノ

それでは。

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